こんにちは!えなママです。
ご覧いただきありがとうございます。
子供が産まれる前から、しょっちゅう夫や実家の家族に対して怒っていました。普通の時は、明るく面白いヤツというイメージを持たれやすい私。なのに、ささいなことでイライラして怒ってしまうのです。この性格は、子育てを始めてからは余計に厄介でした。
私が怒ってしまう理由のひとつ…それは「察して欲しい」と思っているから。
なぜ、察して欲しいと思うことで人生がつまらなくなるのか。それは、相手が自分の思うとおりに動いてくれないと、怒りを相手にぶつけてしまい自分の周りから人が離れて行ってしまうからです。
察して欲しいと考えると何がいけないのか。どうして私が察して欲しいと考えるようになってしまったのかを書いていこうと思います。
機嫌が悪くなると黙る
以前の私は、機嫌が悪くなるとすぐ黙り込むということをしていました。
家族の前ではもちろん、中学生のころは友達の前で、社会人になってからは付き合っていた人やバイト先の同僚の前で黙る。ヤバすぎる💦
もう、当然の権利のように黙りこんでました…。なんでそんなことをしていたかというと、「相手に気を使ってほしかったから」。そうなんです。黙りこくることで、「みんなが私のことを気にしているな~」っていう空気を実感できたのです。これこそが、「みんな、私は機嫌が悪いのよ。察してよね」というメッセージ(笑)
でもね、そんな私の醸し出す汚れた空気を、一切読もうとしない人物が現れたのです。それは…夫です!!
夫とは職場恋愛で、付き合ってすぐに「仕事と私どっちを優先するの?」と質問をしたことがあります。即「俺は仕事をおろそかにすることはしたくないからどっちも優先する」と切り返されました(笑)
一切、私の気持ちを察しないその態度!!「はぁ?なんでよ!頭にくる!!」と思いましたが同時に、(はっきり言えてかっこいいなぁ。うらやましい…)とも思いました。にも関わらず、そこから12年間私は夫に対して「察してちゃん」で有り続けたんですけど💦
察して欲しい妻 察さない夫
夫は、全く察しません(笑)。
「察してちゃん」の私と、「察さない君」の夫(笑)
例えば、夫がとった行動に対してイラっとした時、私が(察して欲しいために)機嫌が悪くなると、夫も一緒に機嫌が悪くなるので、その場の空気はそりゃもう最悪です🤣当の私は、自分から嫌な空気を発したくせに「この状況どうしたらいいのよ!どうして一言ごめんって謝ってくれないの⁉謝ってくれさえすれば私は機嫌よくいられるのに!!」なんてとんでもなく自分勝手なことばかり考えていました😱
夫のせいという空気を出して、その空気を読んで欲しかった。そして、「ごめん、俺が悪かった。」って言ってほしかった。でも、うちの夫は厳しいですから(笑)
これさえなければいつも楽しい雰囲気で暮らせるのに…なんでケンカしちゃうんだろう…と12年間悩みの種でした。
おいっ、アンタのせいだよ!!って過去の自分に突っ込みたい(笑)
察さなくて怒られていた子供時代
あまり気にしていませんでしたが私の母も、機嫌が悪くなると黙りこくることが多かったです。お嫁さんの母は、祖父母と父に対して言いたいことが言えずフラストレーションが溜まると家出をしていました(と言っても2~3時間で帰ってきましたが)。子供としては辛かったです。
過去の記事にも書きましたが、長女の出産前に「子育ては本当に大変だよ」と母からよく聞かされました。
子どもがどう育つかは、全て母親である自分の責任という家庭内の空気。母は、「娘二人をどこに出しても恥ずかしくないように育てなてれば、世間から何を言われるか分からない…」というプレッシャーを日々感じていたはずです。そりゃあ子育ては大変だと言いたくもなるでしょう。
祖父母と父も、お嫁さんの母に対して「察して行動しなさい」という空気を出しており、母はその空気を読むことが嫁の務めだと考えていたんですね。
私が中学生か高校生のころの話です。実家は自営業をしているので、そこにお客さんがやってきて椅子に座っていました。私は「こんにちは。お世話様です」と言って、店の一角にある冷蔵庫からジュースを取り出し飲んでいました。そこへ母が入ってきてお客さんに挨拶をした後、私に向かって「なんで自分だけ一人でジュース飲んでるの!?お客さんにお茶も出さないで!!」と言いました。
母はきっと、自分の娘が察して行動しなかったために「お客さんの前で恥をかいてしまった」と感じたのだと思います。母親として、「娘がちゃんとした女性になるために仕方なく叱ったんだ」と思ってのことでしょうが、当の私はその瞬間「何で?どうして他の人がいる前でこんなこと言うの!?」と、恥をかかされた気持ちになりました。みんな私をダメな人間だと思っているんだろうな…と思って、その場から逃げ出したくなりましたね💦
大人になった今だったら、私に対して怒るよりも先に「こんにちは~、今お茶出しますね」ってお客さんに言えば済むだけの話じゃない??って思えるのですが、当時は母に言われたことが辛くて悲しくて自分を責めていました。
そう、反省ではなく、自分を責めていました。
反省は大事。自責はしなくていい
私の中で、反省と自責は同じものとして扱われていました。反省していれば、「私は、お茶を出さなかったという失敗をしたんだ、同じことを繰り返さないようにしよう」と思えたのですが、「怒られた」と感じたことによって冷静でいられなくなり「私が悪いんだ」と感じて苦しむという状態に陥っていました。「自分が悪いんだ。ダメな人間なんだ」という結論に至ってしまうと、そこから先に進むことができなくなります。そして、反省と自責の区別ができないまま大人になってしまう。それが私です。
自分を責めるって、楽しくないですよね〜!!私の夫は「人生楽しくなきゃ意味がない!人は幸せになるために生まれてくるのだから」という考えを持っているので、自分を責めたりすることはありません。そのために、自分を責めてばかりの私の考え方を理解できなかったようです。こんなに考え方の違う二人が夫婦になったんですから、衝突してばかりなのは当然ですよねぇ…。
何か落ち込んでしまうようなことが起きたら、自分を責める前に反省する癖をつけるようになりました😊それだけでも、生きやすくなりました♫
子どもが幸せになるために親ができることは?
おそらく、私が子供たちを怒りたくないと思う理由は、「子どもたちの健全な成長と幸せを願っているから」だと思います。
もちろん、世の親御さんたちは誰でも自分の子供の成長と幸せを願っておられると思いますし、無論、私の母もそうだったはずです。でも、母は「叱って失敗を責めること」で娘を幸せにできると思っていたんですね。結果、残念なことに娘の私は「自責」をするだけで「反省」ができない大人に成長してしまった。「自責」と「反省」、この二つを混同してしまった訳です…。そして、人生は楽しいばかりではいけない、嫌なことも他者のために我慢しなくてはならないんだと思い込んでしまったのです。
当たり前のように自分を責めている親は、子供の健全な成長を阻害します。そして子供は自己肯定感の低い子へと成長し、幸せからは程遠い人生を送ることになると私は思います。
「嫌なことでも、他者のために我慢するべきだ」と考える癖がついてしまうと、「何で私ばっかり我慢しなくちゃいけないの⁉私は大変なの!分かってよ!!」と、察して欲しい人間になってしまいます。
「察してちゃん」は、より親しい人に対して、察して欲しい空気を発するそうです。なるほどね~、私も夫や長女に対して「察してよ!」といつも思っていました。そうすると、二人の表現が曇るんですよね…。私が原因なのに、それを全く受け入れられませんでした。
いくら家族に察して欲しいと思っても、私の夫や子どもは、嫌なことを我慢してまでやりません。家の中では特に(笑)。だから、家族に察して欲しいと思ってもムダな努力なんですね(笑)。そんな無駄な努力をしていたから、私はいつも家族に対してイライラしていたのかなぁ~なんて思うのです。
「察してちゃん」の先には、幸せな人生はありません。
子どもを「察してちゃん」にしないためにも、まずは私たち親が察して欲しいをやめられるように行動して行きましょう😊
お読みいただきありがとうございました。
では、ごきげんよう♫
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